俺は“サッカーをする”のが好きやねん − 石塚啓次、バルセロナに生きる

Edit / photograph : Shogo SATO


長身で柔らかいボールタッチ。どこか掴みどころのない技巧派で、圧倒的に記憶に残るプレーヤーとして存在感を放った“石塚啓次”。“和製フリット”と称された石塚は、京都・山城高校を卒業後、プロの世界に飛び込んだ。
「いわゆる普通の家庭で育って、公立高校やったし強豪校みたいな厳しい練習もなかった。特に苦労してきたって感覚もないねん。」
高校2年のとき、当時ヴェルディのGMだった小見幸隆に声をかけられ、プロへの道が拓かれる。
「小見さんが俺を拾ってくれたんよ。ほんま色々ようしてもらった。引退後に一緒に飲んだとき、『お前は背が高くて顔が良かったから採っただけや』って言われたわ(笑)

1994年NICOSシリーズ、山城高校の先輩でもある釜本邦茂監督率いるガンバ大阪との一戦。プロとして初出場した石塚は、ゴールを決めてチームの勝利に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。試合後、ヒーローインタビューで放った言葉が、当時のサッカー界をザワつかせる。
「僕を試合に出したら優勝できるんで。」
この発言は「生意気」「愛想がない」と一部では異端視されたが、本人にとってはそれが自然な感覚だった。

 


ヴェルディ時代の仲間たち
 

「ケツさん(川勝)は、同じ京都の先輩で、アウトサイドを使うところとか俺と似てて、プレーもうまくて大好きやった。加藤久さんには、入団して最初の練習で挨拶せんかったからめっちゃ怒られた(笑)でものちに監督になった時には『おまえを10番でチーム考えてる』って言ってくれて、それは嬉しかったなあ。当時ヴェルディは、特に派閥って感じではなかったけど、俺とビスマルクと西澤淳二で“藤吉軍団”結成してたな。藤吉門下生やから俺は。フジくん(藤吉)はバカもやるけど、サッカーに対して真摯やし、芯のある生き方してて男前や。俺はそういうとこが大好きやね。キーちゃん(北澤)やゾノ(前園)もバルセロナのうどん屋に来てくれたし、ラモスさんとは今もずっと付き合いがある。日本に帰ったときは必ず会ってるし、ブエナビスタの展示会にも来てくれる。」
 


引退の理由、する”サッカーへの回帰
 

営業後の店内で、当時の仲間たちの話を笑いながら語る石塚。約10年の現役生活を終えたのは、「サッカーがうまくできる魔法が消えた」からだった。
「ヴェルディに入った頃なんて、スペインサッカーの情報なんか全然なかった。自分がバルセロナに来るなんて、まったく思ってもなかったな。俺のアイドルはアルゼンチンのレドンドとリケルメ。リケルメは恐竜って呼ばれてて、あまり走らないけどチームにハマればとんでもないプレーができるタイプ。俺もそんな感じでみんなが信頼してくれたからうまくできるプレイヤーやったと思う。ヴェルディには10年いたけど、それ以外のクラブ――ブラジルのマモレ、グランパス、フロンターレ、コンサドーレとなんでか全部3ヶ月で契約終わってる。現役最後の方はサッカーしてても全然おもろなかった。アパレルの仕事も粘ってやってうまくいったけど、サッカーの快感を超えるもんはなかったんやろうな。今もあの時の魔法のような感覚を取り戻したくて、毎週日曜は仲間と“デカサッカー”(フルピッチ)をやってるけどうまくいかないわ。前の晩に飲みすぎて一歩も動かれへん日もある
あくまで俺はサッカーを“する”のが好きであって、観るのも嫌いじゃないけど、そんな好きじゃない。教えることには全く興味ない。」
 


バルセロナで続けるうどん屋とアパレル
 

何度か訪れていたスペインで、知人に勧められてビザ申請したところ、思いがけずすんなり通り、家族での移住を決意した。当初はラーメン屋も考えていたが、「種類が多くて、どこに進んでいいか分からずしんどそうやから。それに、人と同じことやるのが好きちゃうからな。」と方向転換。
製麺機を買って、うどんの本場である香川県で一週間研修を受けあとは独学で味を作り上げた。
「自分がやりたい味をちゃんと出せてる」という“Yoi Yoi Gion 宵宵祇園
のうどんは、出汁とコシのある麺が特徴。地元の常連に人気のメニューはカレーうどん。限定の“冷やしサラダ坦々うどん”も、バルセロナの強い日差しにぴったりの一品だ。
 

Yoi Yoi Gion 宵宵祇園”は平日13時から営業がスタートし、16時から20時までの休憩を挟んでディナータイムは20時から22時。バルセロナの夏は日没が22時頃で、21時でも外はまだ明るい。店内の壁一面には、『キャプテン翼』の作者・高橋陽一先生が来店した際に描いたキャラクターのイラストが残されている。スペインでは1980年代後半~90年代に『キャプテン翼(Oliver y Benji)』が放送され、今もなお、根強い人気を誇っている。
 

石塚は、うどん屋の他にアパレルブランド「BUENA VISTA」も手がけている。“子ども心を持った大人”がブランドコンセプトだ。
「西洋にかぶれてた若い頃とは違って、最近は和柄とかカタカナとか、日本的なデザインに惹かれる。鯉口のシャツとかも、年をとってきてこういうのが気分かなあと。店を閉めた後に焼酎飲みながら日本の歌を聴いて、YouTube観てる時間が一番幸せやったりするからね。」

 


自分に正直でいられるバルセロナ
 

バルセロナは一年を通じて穏やかな気候に恵まれ、温かい日差しがこの街の人々を生き生きと輝かせている。この地中海性気候が都市の魅力を支える基盤の一つであり、都市設計においてもそれを活かす工夫が随所に見られる。
Yoi Yoi Gion 宵宵祇園”は、バルセロナの中心部に位置するカタルーニャ広場から徒歩約15分。グラシア通りを北上し、観光地としても知られるアントニ・ガウディの名建築“カサ・バトリョ”や“カサ・ミラ”を経て、バルセロナを東西に横断するディアグナル通りと交わる交差点付近に立地している。
グラシア通りは、中心に幅広い歩道が設けられ、その両側に車道と路面商業スペースが展開するという構成になっている。中央の歩行者空間にはテーブルが並び、沿道のバルやレストランからワインやタパスが供される様子は、まさに「人間中心」の都市設計思想を体現していると言える。
 

「バルセロナの生活で大変なこと?話し出したら一年くらいかかるわ。まず、こっちの人は自分と家族のことしか興味ない。人の話を聞かんし、何かあっても謝らん。お互い他人に全く関心がないし、自分は自分だってゆう“自分中心”な感覚。だけどストレスもないし、バルセロナは自分に正直でいられる。そこが好きなんよ。まあ日本でも同じ感じでやってたけどな(笑)」
 


「めっちゃいいことやってるやろ?」― 自分のままで生きるということ
 

石塚が続けているもうひとつの活動。それが、毎年夏にJリーグ公式戦の前座イベントとして、自身が率いる「CF BUENA VISTA」と中学生チームが20分ハーフで対戦し、中学生チームから優秀選手1名を選んで、バルセロナサッカー留学に無料招待するという取り組みだ。
この活動は2016年から始まり、すでに7名の中学生がスペインの地を踏んでいる。2025年7月27日(日)には、アトレチコ鈴鹿のホームゲーム前座として急遽開催が決定。わずか10日前に話が決まり、石塚自身が1日半でスポンサーを集めて開催した。その行動力と、それを支えるスポンサー企業との信頼関係の深さが、この取り組みの継続と広がりを物語っている。
「スポンサーの社長さんとかでチーム作ってるから、中学生とやるとちょうどバランスええんよ。優秀選手は、バルセロナ市内のクラブの練習に参加させてもらう。サッカー以外でも絶対に人生の意味ある経験になると思う。俺、めっちゃいいことやってるやろ?」
 

プロサッカー選手、アパレルブランド、うどん屋経営、日曜日の草サッカー、そして4人の子の父親。
石塚啓次という人間は、どのフィールドでも“自分のまま”でプレーし続けている。

「飽き性やけど、唯一続いてるのは“サッカーと家族”。それだけやな。」
 


PROFILE


石塚啓次 Keiji ISHIZUKA
 
1974年 京都府生まれ。小学生の頃、京都紫光クラブに入団しサッカーを始める。京都府・山城高校3年生で高校総体に出場するも早期敗退に終わったが、石塚のプレーは「和製フリット」と称され、圧倒的に記憶に残るプレイヤーとして存在感を放った。
高校卒業後の1993年にヴェルディ川崎に入団。2003年グランパスにて現役を引退。
2014年6月、バルセロナにうどん屋「Yoi Yoi Gion 宵宵祇園」を開店。
 
Instagram https://www.instagram.com/keijiishizuka/
BUENA VISTA https://buenavista.club/


バルセロナで好きな飲み物
Ribera Del Duero産の赤ワイン
近所のケーキ屋「FARGA」で飲むアメリカーノ
 
バルセロナで好きな場所
Tossa de Marのビーチ
 
バルセロナのここが好き!
他人の目を気にしないで、自分でいれる。
俺の人生は俺のもの!