大久保嘉人、引退後の新たな挑戦 ─ バルセロナで切り拓く第二の人生

J1通算191ゴール、歴代最多得点記録を誇る日本サッカー界の至宝・大久保嘉人。
2021年に惜しまれつつ現役を退いた彼が選んだ次の舞台は、スペイン・バルセロナだった。
移住のきっかけは長男のサッカー留学。家族との時間、指導者としての挑戦、そして新たな夢──
現役時代から変わらぬ情熱で歩み続ける大久保の“今”を追う。
Edit&Photograph : Shogo SATO
引退後、新たなフィールドへ ─ 家族と選んだバルセロナの暮らし
長崎・国見高校3年時に高校三冠を達成。そのうちインターハイと高校選手権ではそれぞれ大会得点王を獲得し、U-19日本代表にも選出された。
高校卒業後はセレッソ大阪に入団し、U-23日本代表として2004年アテネオリンピックに出場。さらにA代表として2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場した。
史上初のJ1リーグ3年連続得点王も成し遂げた後、2021年に惜しまれながら現役を引退。新たな人生の拠点として選んだのは、スペイン・バルセロナ。
きっかけは、サッカー留学中だった長男の存在だった。
「息子たちがサッカーをするためにスペインを選んだことをきっかけに、じゃあ自分もここで新しい挑戦をしよう、と腹を括って家族での移住を決めました。」
住まいの近くでまず探したのは語学学校。しかし、スペイン語圏では英語を学ぶ学校ばかりで、スペイン語学校は見つからなかった。現在はスペイン人講師による90分のマンツーマンレッスンを週5日受講し、UEFA PRO COACHING DIPLOMA(UEFAプロライセンス)取得に向け、日々研鑽を積んでいる。
高校卒業後はセレッソ大阪に入団し、U-23日本代表として2004年アテネオリンピックに出場。さらにA代表として2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場した。
史上初のJ1リーグ3年連続得点王も成し遂げた後、2021年に惜しまれながら現役を引退。新たな人生の拠点として選んだのは、スペイン・バルセロナ。
きっかけは、サッカー留学中だった長男の存在だった。
「息子たちがサッカーをするためにスペインを選んだことをきっかけに、じゃあ自分もここで新しい挑戦をしよう、と腹を括って家族での移住を決めました。」
住まいの近くでまず探したのは語学学校。しかし、スペイン語圏では英語を学ぶ学校ばかりで、スペイン語学校は見つからなかった。現在はスペイン人講師による90分のマンツーマンレッスンを週5日受講し、UEFA PRO COACHING DIPLOMA(UEFAプロライセンス)取得に向け、日々研鑽を積んでいる。

特別な記憶「マヨルカのデビュー戦」
バルセロナに移住した2025年4月から遡ること20年。大久保は、バルセロナの南、地中海に浮かぶマヨルカ島のクラブ「RCDマヨルカ」で、2004-2005シーズンから2シーズンを過ごした。
高校3年時、ドイツのバイエルン・ミュンヘンから入団オファーを受け、約3週間クラブの練習に参加。この経験が海外志向を一層強めるきっかけとなった。
その後セレッソ大阪に入団し、いつかは海外、特にスペインでプレーすることを夢見続けた。当時のリーガ・エスパニョーラには「銀河系軍団」と称されたレアル・マドリードが君臨し、その舞台に立つ自分の姿を強く思い描いていた。
3試合2ゴールを決めたアテネオリンピックの後、スペインを含む欧州5〜6クラブから大久保のもとにオファーが届いた。その中で最も戦力的に劣っていたのがマヨルカだったが、「憧れのリーガでプレーできる」という理由で迷わず選んだ。
デポルティーボを相手に迎えた、マヨルカでのデビュー戦は今も特別な記憶だ。試合前日から発熱し、立っているのもやっとの状態。それでも「ここで出なければすべてが終わる」と、発熱のことを監督に告げず出場を決断。前半早々に相手DFに削られ、スパイクで膝を裂傷。骨が見えるほどだったが出血はなく、「この痛みに耐えれば何か起こる」とプレーを続行。後半にはガルシアのゴールをアシストし、自らも得点。結果は引き分けだったが、翌日の地元紙は全得点を演出した大久保を大きく報じた。
高校3年時、ドイツのバイエルン・ミュンヘンから入団オファーを受け、約3週間クラブの練習に参加。この経験が海外志向を一層強めるきっかけとなった。
その後セレッソ大阪に入団し、いつかは海外、特にスペインでプレーすることを夢見続けた。当時のリーガ・エスパニョーラには「銀河系軍団」と称されたレアル・マドリードが君臨し、その舞台に立つ自分の姿を強く思い描いていた。
3試合2ゴールを決めたアテネオリンピックの後、スペインを含む欧州5〜6クラブから大久保のもとにオファーが届いた。その中で最も戦力的に劣っていたのがマヨルカだったが、「憧れのリーガでプレーできる」という理由で迷わず選んだ。
デポルティーボを相手に迎えた、マヨルカでのデビュー戦は今も特別な記憶だ。試合前日から発熱し、立っているのもやっとの状態。それでも「ここで出なければすべてが終わる」と、発熱のことを監督に告げず出場を決断。前半早々に相手DFに削られ、スパイクで膝を裂傷。骨が見えるほどだったが出血はなく、「この痛みに耐えれば何か起こる」とプレーを続行。後半にはガルシアのゴールをアシストし、自らも得点。結果は引き分けだったが、翌日の地元紙は全得点を演出した大久保を大きく報じた。

「この試合での痛みに耐えられたことで、今後どんな痛みも乗り越えられると思えました(笑)。スペインは試合になると集中力と気迫が一気に高まり、練習とは別人のようになる。荒さや“ずる賢さ”は日本より格段に上でした。」
一方で、日本人の長所も再認識した。「スピードや足元の技術は日本人の方が高い。ただ、それだけでは通用しない。異なる環境に置かれた状況でも揺るがないメンタルが大切で、その上で技術やスピードが生きる。」文化や言語の壁もあったが、結果を出せば評価は一変。デビュー戦の翌日からチームメイトに食事に誘われるようになったという。
一方で、日本人の長所も再認識した。「スピードや足元の技術は日本人の方が高い。ただ、それだけでは通用しない。異なる環境に置かれた状況でも揺るがないメンタルが大切で、その上で技術やスピードが生きる。」文化や言語の壁もあったが、結果を出せば評価は一変。デビュー戦の翌日からチームメイトに食事に誘われるようになったという。
「信じて、任せてみる」 ─ 海外に挑戦する子どもたちと親へ
バルセロナで、4人の子ども達の成長を見守る大久保。
「子どもが『海外でやりたい』と言った時、信じて任せられるかが大事。もちろん不安はあるけど、任せることで成長できる。海外での経験は日本では得られない財産になる。」
2013年5月、長い闘病生活を送っていた父・克博さんが61歳で他界。父は常に「負けるな」「天狗になるな」「努力しろ」と厳しく接し、「父がいなければ今の自分はない」という。
「今、父からされたことと同じことを、自分の子どもたちに自然とやってる。息子に『負けるなよ』と言うと『わかってるわ』と返してくる。昔の父との会話と全く同じです(笑)。」
時代や環境が変わっても、子を思う親の心は、変わらずそこにある。
「子どもが『海外でやりたい』と言った時、信じて任せられるかが大事。もちろん不安はあるけど、任せることで成長できる。海外での経験は日本では得られない財産になる。」
2013年5月、長い闘病生活を送っていた父・克博さんが61歳で他界。父は常に「負けるな」「天狗になるな」「努力しろ」と厳しく接し、「父がいなければ今の自分はない」という。
「今、父からされたことと同じことを、自分の子どもたちに自然とやってる。息子に『負けるなよ』と言うと『わかってるわ』と返してくる。昔の父との会話と全く同じです(笑)。」
時代や環境が変わっても、子を思う親の心は、変わらずそこにある。

「コパ・デル・ヨシト」開催、そしてマヨルカの顔としての展望
地中海性気候のバルセロナは、年間を通して穏やかで温暖だ。2025年4月に移住してから7月上旬までの間、彼の記憶に残っている雨は、たった一度きり。その乾いた空気と強い日差しが、この街の、ゆるやかな時間の流れを実感させる。
近所のバルでは老夫婦が夜中でもバルサ戦を観戦し、街の人々は陽気で温かい。役所や学校の手続きは煩雑だが、生活には慣れてきた。
この夏、大久保がプロデュースする福岡・長崎のサッカースクールの子どもたちが国際遠征でバルセロナを訪れ、「Copa del Yoshito(コパ・デル・ヨシト)」を初開催。リバプールやパリ・サンジェルマンのカンテラ、地元シッチェスのクラブなどと対戦し、子どもたちは異文化と世界の本気を体感した。
近所のバルでは老夫婦が夜中でもバルサ戦を観戦し、街の人々は陽気で温かい。役所や学校の手続きは煩雑だが、生活には慣れてきた。
この夏、大久保がプロデュースする福岡・長崎のサッカースクールの子どもたちが国際遠征でバルセロナを訪れ、「Copa del Yoshito(コパ・デル・ヨシト)」を初開催。リバプールやパリ・サンジェルマンのカンテラ、地元シッチェスのクラブなどと対戦し、子どもたちは異文化と世界の本気を体感した。

また、2024年5月にはRCDマヨルカの「Japan Special Supporter」に就任。日本とマヨルカをつなぎ、クラブや文化を広く発信していく。「マヨルカ島はバルセロナから飛行機で約1時間。ぜひ現地に来てその魅力を体感してほしいし、日本でもマヨルカのサッカー教室を開催したい。」取り組みたい活動は尽きず、ここバルセロナを拠点に、時には日本や他国にも足を運びながら活動の舞台を広げている。
「今までサッカーばかりで勉強はしてこなかったから、今スペイン語の勉強が本当に楽しい」と微笑む大久保。カフェの店員とスペイン語で談笑する姿は、すっかりバルセロナの日常に溶け込んでいる。
彼の新たな夢は、まだ始まったばかりだ。
「今までサッカーばかりで勉強はしてこなかったから、今スペイン語の勉強が本当に楽しい」と微笑む大久保。カフェの店員とスペイン語で談笑する姿は、すっかりバルセロナの日常に溶け込んでいる。
彼の新たな夢は、まだ始まったばかりだ。

PROFILE
大久保嘉人 Yoshito OKUBO
1982年6月、福岡県出身。サッカー元日本代表。J1リーグ3年連続得点王、J1リーグ最多得点記録(191ゴール)を残し、2021シーズンをもって現役を引退。引退後はテレビやラジオなどに活動の場を移し、サッカーに限らず様々なジャンルで新たな挑戦を続ける。
バルセロナで好きな食べ物
近所のカフェのクロワッサン
バルセロナで好きな場所
近所のビーチ(海鮮も美味しい)
バルセロナのココが好き
人が陽気で温かい