サッカーから学んだ、経営マインド

大型トレーラーによる国内貨物や海外貨物の海上コンテナ輸送等を行う、有限会社総和運輸。
 
中学校時代、地元茨城県のトレセンに選出される程のサッカー少年であった同社 代表取締役 船橋謙一氏は、中学校時代にその後の人生に大きな影響を与えた恩師との出会いがあった。

日本サッカー名蹴会 会長 金田喜稔との対談が、国内や海外からの物流の玄関となる東京港フェリーターミナル内の同社事務所で行われた。
 
ー金田
船橋社長、今日はよろしくお願いいたします。
 
 
ー船橋
こちらこそよろしくお願いいたします。
私は小学校から高校までサッカーをやっていたのですが、金田さんにこうしてお目にかかれて光栄です。
 
 
ー金田
サッカーやってたんだ?出身はどちらなんですか?
 
 
ー船橋
出身は茨城県で、境高校でサッカーをやっていました。
 
 
ー金田
茨城県といえば鹿島学園が有名だけど、僕らの時代は水戸商業と古河一かな。
 
 
ー船橋
私の姉が古河一なんですが、当時、全国大会で優勝したんですよ。
えんじのジャージで強かったですね。

 

ー金田
そういえば、僕が中央大学に入学した頃に、古河一出身の同級生がいましたよ。
水戸商業出身もいたし、茨城出身の先輩にもめちゃくちゃ可愛がってもらったし、茨城出身の人は良い人ばかりだったな。
 
 
ー船橋
茨城のことを褒めていただけて嬉しいです。
当時は、古河は中学校も強かったんですよ。
 
 
ー金田
高校選手権でも古河一と水戸商業は常連だったよね。

 
ー船橋
自分の頃は、水戸短大付属(現在の水戸啓明高校)と、日立工業ですね。
日立工業出身の鈴木隆行さんは、中学生の時に茨城県のトレセンで実は一緒だったんですよ。
 
 
ー金田
えー、そうなの!?
 
 
ー船橋
僕は26名中26番目の選手みたいな感じだったので、鈴木さんは雲の上の存在でしたけど。
 
 
ー金田
隆行には名蹴会の活動にも沢山協力してもらっているんだけど、本当に真面目で人柄が良い、カッコいい男なんですよ。
 
 
ー船橋
本当にすごいですよね、日本代表はもちろんブラジルでもプレイされていましたし。私は昭和51年生まれなんですけど、2002年のW杯メンバーはほぼ同世代の選手だったので当時は日本代表の応援にも熱が入りました。中田英寿さん、松田直樹さん、宮本恒泰さん。
 
 
ー金田
黄金世代っていうんだっけ?ナイジェリアでやったワールドユースでも2位とかになってね。

 

ー船橋
そうです。ちょうどそのあたりの世代でした。自分は全く上手くなかったですけど、一応同じ大会には出場していました。
 
 
ー金田
そうなんですか。その世代でサッカーをやっていた方とこうしてお会いできて嬉しいね。総和運輸さんはどんなお仕事をされてるんですか?
 
 
ー船橋
海上コンテナと言うのですが、海外からの輸入貨物を倉庫に下ろしに行く物流の仕事です。大体、関東一円に運ぶことが多いのですが、南は鹿児島県までで、北は青森県です。貿易貨物の他にも、国内の貨物ですと黒豚、黒毛和牛、地鶏などの畜産関係の餌や肥料を運んだりしています。創業して今年で17期目を迎えました。

 
ー金田
私はサッカーの人間なので、経営のことはあまりわかりませんが、10年以上も会社を経営していくって大変だと思うんですが、最近のコロナの影響はいかがですか?
 
 
ー船橋
昔は運賃が低かったのですが、15年位前と比べると近年は運賃が上がっている傾向でして、利益は大幅に増えたりはしていませんが、少し上がっている感じです。
特に今年はコロナの影響で、物流量が増えたんです。ネットショッピングが増加した影響か、中国など海外からの物流量は相当動いたと思います。4月は特に忙しくて創業以来一番売り上げがあがりました。
 
 
ー金田
ヤマト運輸さんとかで、全従業員に見舞金を支給したというニュースは見ましたが、宅配需要が相当高まったということですよね。
 
 
ー船橋
実店舗に足を運んで値段やサイズを比較して購入するスピードに比べると、ネットショッピングはそのスピードがとにかく早いんでしょうね。今後景気と連動して、この物流量がずっと続かないかもしれませんが、ステイホーム期間でも、人間の物欲や購買意欲は消えないということなのかなと思いました。
 
 
ー金田
その物流を支えてくれているドライバーさんは本当にすごいよね。
 
 
 
 
ー船橋
そうですね。本当にドライバーの存在は大切ですし心から尊敬しています。現場の屋根や門に軽くぶつけたみたいなことは稀にありますが、弊社は公道での事故は殆どありません。
 
 
ー金田
それはすごいね。自分の不注意じゃなくても、事故ってどうしてもありうるじゃないですか。どうゆうケアをしているんですか?


ー船橋
運送会社全般に言えると思いますが、事故が多い会社は「走る距離が長い」傾向があると思います。ドライバーの疲れがピークになった時に、集中力が途切れて居眠りとかに繋がりますよね。昔ながらのドライバーだと、距離と給料が比例するので走ってなんぼなんです。
弊社の場合は、走行距離も増えるとトラックの寿命も短くなりますし、走行距離は抑えつつ効率化を徹底して安売りはしないようにしています。
運賃を安くして仕事を取ろうとしていくと価格競争に巻き込まれて、ドライバーの賃金も安くなりますので、そのドライバーも長く走らないと稼げなくなるので疲れていても乗車しようとするんです。結果、ドライバーが疲弊していってしまい、寝坊するとか事故が増えるようなことが起きて、お客さまに荷物が届けられなくなるといったような悪循環になってしまいます。
以前、弊社は価格競争に参加しなかったので、安い運賃の会社さんに仕事が流れてしまい、仕事が減った時期もありましたが、結果お客さまが戻ってきたんですよ。サービスの質を保ち続けていたので、お客さまの信頼が得られたんだと思います。


ー金田

ドライバーさんの負荷を考えて、安全を保ちつつ、走る距離や時間のバランスをとって経営するってすごいね。


ー船橋
そうですね。弊社は離職率も低く、勤続年数の長いドライバーが多いですね。あと、地方から出てくる若い社員も採用していますので、品川区にある社宅に新人社員を住み込ませて、大型免許の取得支援もしています。ドライバーあっての運送会社ですので、ドライバーとのコミュニケーションも積極的にとっています。
昔の話になりますが、弊社は元々先代となる父親の運送会社から始まっているのです。当時父親の会社が7億6,000万円の借金を抱えてしまい首が回らない状態だったんです。そこで自分が今の会社を興して、父の会社の債権も引き継ぎ、資産の売却をしながら毎日を過ごしていました。その頃、父の会社所属のドライバーと色々会社の実情を話す機会があり、有り難かったのは自分が会社を興すなら協力するよと皆さん辞めずに続けてくれたんです。
僕が小さい頃から「けんちゃん、けんちゃん」と可愛がってもらっていた方々だったので本当に嬉しかったです。
ドライバーは日頃、基本的に1人で運転しているので、運転中は良いこともそうではないことも含めて色々なことを考えているんです。その考えに常に積極的に耳を傾けるように心がけています。

ー金田
良い話だね。確かに船橋さんが自分の思いだけ一方的に伝えていたら人はついてこないのかもね。船橋さんの懐の広さとか度量だね。僕はサッカーの後輩捕まえてベラベラ言いたいこと喋っていますから(笑)。人の話を聞くことって大切なんだよね。
 
 
ー船橋
社員のドライバーが20人位いまして、1年半から2年に一度、個々の面談をするんです。持ち時間も特に決めずに行うのですが、10分位で終わる方、3時間くらい話す方と様々です。話を聞いていると私も色々なことに気づくこともありますし、ドライバーが身近に感じることができて、充実感がありますね。


 
ー金田
この間、トラックが細い路地で角を曲がるところを見かけたんだけど、よく曲がれるなって感心したもんね。僕の時代は、菅原文太さんのトラック野郎なんかを思い出すんだけど、運転席が高いところにあって見晴らし良いし、僕の周りでも憧れている人は多かったですよ。やっぱり、車とか運転が好きな方が多いんですか?
 
 
ー船橋
多いですね。車とか運転が好きじゃないと難しいんじゃないですかね。昔は自分で車を装飾する人もいましたから。実際大型のトラックに乗っていると気持ちが良いですよ。一発でこの大きい車を入れるという達成感とかもありますし、首都高を走行する時なんかはドライバーの目線が壁より高いですし、東京ゲートブリッジを走行する時は空を飛んでるような感覚になります。ちょっと中毒みたいな感覚もあるかもしれませんね。
 
 
ー金田
僕は乗ったことがないので分かりませんが、目線も高いし気持ち良さそうですよね。ドライバーさんの育成も力が入りますね。
 
 
ー船橋
年間で最低でも1人、多い時は3人ほど採用をするんですが、面接で「車には乗り慣れています」と言っても実際トラックで公道に出たら怖くて乗れませんと辞めていった社員も何人かいましたよ。面接しても実際にトラックで公道を走れるかは分からないんです。
なので面接の際は、やる気だけ確認するしかないんです。当然、大きなトラックで公道を走るということは、社会的責任が伴うよという覚悟も持たせなきゃいけませんし、対人の事故を起こしたりしたら人生が終わってしまう仕事だよということも伝えます。大きいトラックの事故は、個人も会社も取り返しのつかないことになってしまうので。

 

ー金田
そうですよね、覚悟を持たせるのは必要なことですよね。やはりベテランのドライバーの方が指導されるんですか?
 
 
ー船橋
はい。今は整備をやってもらっている、70歳超えの大ベテランの元ドライバーがいまして、その方に怖い鬼教官として指導してもらっています。厳しいですが、とても愛情があって「これをやらないと、困るのはお前だよ」という教え方なんです。怖くてちょっと金田さんに似てるんですよ。
 
 
ー金田
え、なんで僕が怖いの?(笑)

 
 
ー船橋
喋り方とかどこか似ているんですよ。(笑)その鬼教官の指導が終わると、現役ドライバーの横に乗って公道に出ていくんですけど、運転技術と併せて、貨物を下ろしたり積んだりという「貨物を運ぶ」ということも同時に覚えなければいけません。
 
 
ー金田
本当に大変だね。
 
 
ー船橋
なので、事故なく安全に貨物を運んだときの達成感はすごいです。お客様からあのドライバーにまた来て欲しいとご指名をもらうこともあります。偶然ですが、サッカー好きな業者さんとの取引がとても多いんですよ。
 
 
ー金田
93年にJリーグが開幕してからサッカーファンも確実に増えたし、船橋さんの世代的にもサッカーファンは多いでしょうね。
 
 
ー船橋
冒頭で申し上げましたが、私はサッカーを少しかじっていました。僕が小学生の頃は身長も大きくて、足も早く、ボールがそこそこ扱えたので調子に乗っていたんですよ。
中学に進学しても、調子に乗ったままサッカーを続けていたのですが、その時に出会った恩師との出会いが僕を大きく変えたと思っているんです。
当時、僕の友人がキャプテンを務めていました。ある日その恩師が僕をキャプテンに指名しました。なんで僕がキャプテンなんですか?とその恩師に聞いたら、「お前のその傲慢な性格を直すには人の上に立つような立場にしないとダメだと思った」と言う訳ですよ。
それを言われて実際にチームをまとめようとした時に、人の気持ちがわからないといけないし、自分が率先して行動しないと人はついてこないことも分かりましたし、その時に学んだことが今の会社の経営にも繋がっているとずっと思っています。


ー金田
その恩師の良い影響があったんですね。でもそういったことに、そもそも気付かない人も多いだろうし、船橋さんの素直さが良いね。僕なんかじゃできないですよ。大体、人に言われた事を聞きませんから(笑)。

 

ー船橋
その恩師にトレセンに選んでもらいましたし、色々なことを経験させてくれて本当に感謝しています。素晴らしい恩師に出会えたと思います。サッカーで学ばせてもらったことを、会社を通じて世の中に還元したり、恩返ししたいと思っています。
 
 
ー金田
サッカーは最近やられているんですか?
 
 
ー船橋
数年前までですが、近くのフットサルコートでフットサルをよくやっていましたね。
 
 
ー金田
実は今でも、もっとサッカーを上手になりたいという大人の方が全国に沢山居て、名蹴会で大人向けのサッカークリニックを開催しているので、船橋さんも是非今度参加してくださいよ。
 
 
ー船橋
最近は全然サッカーをやっていないので体が動かないと思いますが(笑)、是非参加させてください。

 
Dialogue MC:Yoshifumi Asano(ALL MOVIE JAPAN Inc.)
photograph & text by SATO Shogo

PROFILE

有限会社総和運輸
代表取締役 船橋謙一 Kenichi Funabashi
 
 
1976年生まれ。茨城県出身。大学卒業後、大型トラックディーラーに整備士として就職。経営難となった父親の会社を立て直し、有限会社総和運輸を設立し再建を図った。東京湾を中心とした、国内や国際貨物などの運送に力を入れる。


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